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緑洲山荘 1972-1987

    ◆緑洲山荘。(曹欽栄 撮影)
名だけは山荘で聞こえは良いのですが、公式名称は「緑島感訓監獄」です。典型的な高い塀をめぐらせた閉鎖式監獄であり、獄室が並ぶ「八卦楼」は十字型輻射状をなし、中央から監督管理するのに便利なようにしてあります。1,2階は8区に分けられ、大小の獄室が52室ありました。政治犯の多数は1階に監禁され、少数の特殊な身分の者だけが2階の獄室に幽閉されました。監獄には4つの放出区があり、毎日午前と午後に1回20分から30分ずつ獄室外に開放されて運動や散歩をすることができました。その他、戒護室、医療室、独房、厨房、倉庫、禁固室などがあり、行政大楼1楼の東側は家族と面会の場になっていたのです。

1950年代以来、緑洲山荘で老・中・青各世代の政治受難者が監禁されていました。白色テロで34年間も獄に繋がれた受難者が最後に釈放されたのも緑洲山荘からでした。時代環境の変遷により、緑洲山荘では外部世界の情報が流れ込み、獄中の政治犯は国際人権デーに呼応して過去数回ハンガーストライキを決行しました。


    ◆監獄平面図。(台灣游芸 提供)

    ◆緑洲山荘正門。「行政楼」は現在見学者の入り口になっている。(曹欽栄 撮影)

    ◆面会。監獄の正門は面会に訪れた人の入口で、同時にまた刑期を終えた人の出口でもある。(曹欽栄 撮影)

    ◆挙善橋。面会に来た家族が面会区に辿りつく前に渡る挙善橋。(曹欽栄 撮影)

    ◆放出区。監獄内部北側の放出区。(曹欽栄 撮影)

    ◆スローガン。国防部緑島感訓監獄北面塀の内側に残る政治宣伝スローガン:「反共必勝の信念を堅持」と読み取れる。(曹欽栄 撮影)

    ◆独房及び医務室。監獄西側の独房区は政治犯が「監獄の中の監獄」と呼んでいる場所であり。(曹欽栄 撮影)

    ◆独房及び医務室。(曹欽栄 撮影)

    ◆監房。台湾の法務部(法務省)は2002年以前に局部的修築を行い、獄室のドア、床板及び手洗いのタイル等を取替えたが、2002年の全面的改築後もその部分は保留された。(曹欽栄 撮影)

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