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救援

1960年代以来、国内外から台湾の政治受難者に対し救援の手が差し伸べられました。数十年の間に救援に参加した個人や団体は数え切れないほど多数に上りました。それに は、海外の台湾人、教会などの宗教団体、外国の友人、アムネスティ・インターナショナル、国際メディア、学界などが含まれていました。

1960年代後半から、人権問題は国際社会の関心の的になり、海外の台湾の政治犯に対する救援活動は、急速に組織化と多様化が進展しました。1970年代中頃になって、米カーター大統領の人権外交政策は、人権のアジェンダを国際政治の世界に持ち込み、国民党政権の人権に対する迫害の記録は世界の関心を引き起こしました。1969年、謝聡敏氏と蔡財源氏が協力して一部の政治犯のネームリストを収集し、彭明敏教授の手を通して米国大使館に手渡しました。1970年になって、蔡財源氏は更に237人のネームリストを転々と日本まで送り、「台湾青年」誌上で発表されました。これが海外メディアが台湾の政治受難者の名を明らかにした最初の事件です。

1970年、未だ獄中にいた蔡財源と陳中統の両氏は、釈放されて獄外にあった謝聡敏氏及び蔡金鏗氏らと協力して214人に及ぶ政治受難者の詳細な資料を収集し、アムネスティ・インターナショナルに送り届けました。この詳細な資料がその後海外から台湾の政治受難者を救援する大切な参考資料になったのです。1979年に美麗島事件が勃発し、国民党が大挙して異議分子の検挙に乗出したため世界の注目を集め、国際社会が国民党の暴走に対し引続き強大な圧力をかける環境がだんだん形成されたのです。

    ◆手書きのネームリスト。この手書きのネームリストには214人の政治受難者の名が手写しされてあり、海外に送られ、雑誌「台湾青年」に「台湾政治犯芳名録」として掲載された。(陳文成博士記念基金会提供)

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